damegakusei's diary

21歳フリーターレンタルビデオ店でテキトーこいてる  コンテンツ、日々の生活

マッドマックス 考察

 結局3回見た 最高、最高だよ。最高だぜ。色々考えたのでまとめる。

 

 自分はこれを自己犠牲のお話だと考えます。まずは主人公マックスを掘り下げる。彼は前日譚において劇中でてくる女の子を救えなかった。英語なのでちゃんと読めてないから、あんまり理解してないのだけれど、これを期に「生者からも亡者からも逃げている」状態にある。中盤まで彼が求めるのは奪われた持ち物だ。車やジャケットがそれ。手に入れてうまく逃げおおせればそれでオッケー。自分が一番大事であとは無視。「生きろ(サバイブ)」と本能が告げるままに生きている。

 もうひとつ、最初の独白がある、「狂っているのは俺か、世界か?」。あの世界は弱肉強食。自分本位に生きるのが当然だ。幻覚を観てしまう彼は確かに狂っているが、生き方考え方自体は、ごく普通だ。なのに世界も狂っているのでは?と彼は思っている。幻覚だけでなく、自分の生きざまとそれが常識になってしまった世界を彼は疑っている。つまり、彼は他人の為になにかを成すべきだとまだ思い続けている。人々を救えなかった罪悪感に苛まれながらもだ。

 これが自己犠牲(彼にとっては罪滅ぼし)という形でフェリオサと共闘していくことになる。劇中彼が変化するシーンが5つある。1つはマスクを外すところ。次はサムズアップするところ。3つ目は泥地で単独将軍を倒しにゆくところ。4つ目は地図を渡すところ。最後に輸血するところだ。

 マスクのシーンはよくわからん。顔見せと観客のストレスを取り除くシーンということはわかる。どちからかというとフェリオサとの会話に注目すべきだろう。彼は名を教えず、スプレンディドをいざというとき人質にとれるようしている。弱肉強食の掟に従って行動している。

 サムズアップのシーン。トムハーディーの感情を他者に伝えられない演技が最高に輝いている。喜びを言いたいが言えない、口だけがモゴモゴ動いてハンドサイン。その直後目の前で彼女が死んでしまうが淡々と事実だけしか伝えない。この落差が、感情を殺し正常なコミュニケーションが取れない彼の苦悩を、すごくよくあらわしている。

 そして泥地のシーンだ。まずフィリオサに身体を貸すシーンが入り、木にワイヤーウィンチをつなげた後、単独敵を撃破しに行く。「帰ってこなかったら先に行け」と言い残し。弱肉強食の掟に背いて彼は自己犠牲の精神から行動する。フィリオサやナックス(に聞こえる)との共闘を通じ信頼が芽生えたのだ。

 地図のシーン。団体行動を拒否し単独で生きていくことを一度は選択するが、幻覚に導かれるよう彼女らの元に赴き説得をする。「希望を持つな」という台詞が印象的だ。

 他人がどうでもよかったら幻覚に苦しめなどされない。絶対助けよう、全力で救うと、そう決心し失敗したのだ。

 すこし横道にそれてフェリオサについて考える。彼女は今までに何度も何度も脱走し、そのたび失敗してきた。何回失敗しても希望を捨てなかった。だが今度は他の女まで連れて脱走を決行している。勿論ウォータンクの有る無しは大きいだろうが、確実に足手まといだ。この点をマックスは尋ねる、その返答が「希望に賭けた」だ。自己犠牲という希望に彼女は賭けた。そう解釈することもできると思う。

 元に戻る。きっと彼も同じ自己犠牲という希望に賭けていたのだと思う。一人でも生きて行ける人間にきっと必要なのは、生きるための理由だ。自らの力で物資を調達できる人間はそれをするだけの目的が必要だ。ただ生きるだけなら容易い、だがあの世界で自立し生き続けるのは大きな困難を伴う。そのうえで彼の本能は囁く「生きろ」と。それは自らの為ではない、他者のために自らの生を使えという意味だと私は考える。

 彼は「希望を持つな」というが、実際彼女に伝えたのはより現実的な希望だ。行きつく先になにが有るかもわからない、目的地があやふやな旅は殆ど放浪だ。ここで彼は逃げることをやめる。生者と向き合ったのだ。

 最後の輸血のシーン。注目したいのは、名前を伝えるところだ。死にゆくフェリオと関係を結ぶ。上手く考えがまとまらないけど、コミュニケーション不全の男がしっかりと名前を告げられたのだ。とても大きい意味がある。(すごい投げやり…)

 

 マックスの自己犠牲だけで結構書いてしまった。女たちの自己犠牲とかナックスの自己犠牲とか。あるけど書ききれない。他者のために成せ、失敗しても何度でも、というテーマを私は感じた。